英語のビジネス・コミュニケーションのクラスを受けてみた話 ① 〜その話をする前に〜

海外日常

 

(おひさしぶり、あますいです。今日はちょっと真面目に、英語のはなし。)

 

ついこのあいだオンラインで、

「ビジネス英語」

正確にいうと

英語でのビジネス・コミュニケーションのクラスを受けてみた。

そのクラスの内容がけっこう有益だったので、ここでもシェアしようと思います。

ただ

ビジネスコミュニケーションのクラスの話に入る前に、

わたしの英語の歩みをちょこっとお話したい。

 

わたしの英語の悩み

まず自分の英語バックグラウンドを話しますと、

わたしはアメリカ在住5年以上になる大学院生。

カリフォルニアの大学院で、100%英語で中国医学を学んでいる。

アメリカ歴1〜2年目は英語ビギナーで大変だったけど、

そこはサバイバル精神で乗り切った。

現地で生活するにはもう、問題ない英語力はある。

大学院に入ってからも、1年目こそ大変だったけど

これもやっぱり日本人。

日本人的な座学への根性で乗り切る(笑。

大学院の授業の内容も、勉強すればテストやペーパーは基本的にオールA。

5− 10分のプレゼンやディスカッションも

初めの頃はホント嫌で朝から吐きそうになったけど(笑

きちんと準備していけば、いい評価は取れる。

心折れそうな、そんな時はいつも

日本の大学受験経験者を舐めんなよ、と。(?)

自分を奮い立たせて、真面目に頑張ってきた。

と、思う。

院生1年目。

大学院はいって1年目の初めてのセメスター、今思い出すと懐かしい。

解剖学や生理学の授業に、中国医学基礎の概論や、生薬の各論。

多分、授業の30%ぐらいしか聞き取れてなかった。

とてもスマートそうな先生がスライドをぱっぱっと使って

サラサラと3時間喋り倒す。

授業の内容を聴き取ろうとするので脳みそがいっぱいいっぱいで、

休み時間中は、クラスメイトの談話を聴くのも億劫。

休み時間はよく裏庭に行って、目を閉じて休んでいた。

とにかく1年目の初めの頃は何も分からず、

聞こえず。

それに

大学院だけあって、

周りのクラスメイトもオトナで社会人経験のある人が多かった。

振る舞いも話し方も、アメリカの大学やコミュニティカレッジにいるキッズたちとは違って、なんだか洗練されている。

そんな周りにも気後れした。

しどろもどろ喋る自分が、無力な子供に思えて心細かった。

でも

気後れしてるだけだと気が狂ってしまうので(笑)、

ひとまず、出来ることを、こなしていくしかない。

1年目は、座学の授業ばかりだったから、

テスト前はとにかく、スライドに書いてあることは全て頭に入れておくようにした。

分からない単語や、理解に自信が持てない内容は、残さず調べて、次回の授業までにクリアにしておく。

ただでさえ分からないことばかり。

せめて手元にある資料の内容は全部わかるようにしておこうと思った。

そんなこんなしていると、成績はオールA。

それに気づいたクラスメイトの子に、よく

「僕たちネイティブでさえこの学校の内容についてくのに必死なのに、キミは一体どうやったら、そんなうまくこの院生生活を乗り切ってるの?」

と目をまん丸くして聞かれた。

彼らの気持ちをストレートに代弁すると、

「おまえ英語できないのになんで成績はそんないいの? (ミステリアス)」

ということだと思う。(笑

「アハハ。ねー。なんでだろうねー。自分でもわかんないハハ 。」

とテキトーに答えたりして。

とにかく

周りはたぶん自分よりもっと分かってる、もっと深く考えられてる、もっと出来てる。母国語だから。

という気後れがいつもあったから

点数とか成績とか、わかりやすく目に見える結果を、

ギリギリ自分を肯定できる安全網にしていた。

そんな院生1年目。

 

大学院生、2年目。

2年目、お家で夜ご飯をモグモグ食べている時だった。

ふとクラスメイトから電話がかかってきた。

「ねー明日のテストのさ、クラスのプリントのここが分からないんだけど…。」という質問の電話。

食べ物をモグモグしながら私は

「あー、あれはさ、あれであれでほにゃらら(説明」

と答えた。クラスメイトは

「あー、そっか!オッケーわかった、サンキュー!」と、電話を切った。

電話を切ってから、

あれ?今、私もしかして….

アメリカ人に授業の質問された?

他に電話して聞けるクラスメイトは他に大勢いるのに、

わざわざ私を選んで電話くれた?

と気づいた。

とても嬉しかった。

それと、質問にさらりと答えられた自分にも、

かるく感動。

(笑)

右も左も分からなかった1年目から、2年目。

自分、ネイティブのクラスメイトに信頼される学生になれてるんだー

と気づいて、ちょっと気持ちがホクホクした。

 

話がズレちゃった。

 

えっと、

これは海外に留学してる全てのひとに言えることだと思うけど、

学生の本分は、あくまで学問すること。

英語を流暢に話すことではない。

何を学んでるとか、学んだ内容についてどう考えるのかとか、

そういったことが大事で、

語学力はあくまで、それを支えるツール。手段であって目的ではない。

勉学と向き合っていれば、自ずと語学力のハンデはカバーされる。

そんなことを身も持って実感して、

少し気がラクになっていく時期だった。

3年目。勉強サボりめ… リア充に走る。

3年目、ここで私はちょっと調子に乗り出した。

授業内容のレベルがどんどん上がっても、

問題なくこなせるようになった。

授業の内容を隅から隅まできちんと理解してなくても、テスト直前にポイントをおさえて勉強すれば、いい成績をキープできる要領も得てしまった。

1年目は、*大人のクラスメイトたちの会話に入るのも億劫だったけど、

3年目は学校の外で彼らと遊ぶ余力もでてきた。

(*大人の、というのがミソ。コミュニティカレッジとかでアメリカンキッズと会話するのとはまた違う。オトナたち特有のウィットに富んだ会話、ユーモア、ポンポン小気味よく移る色んな話題、話題の引き出しの多さ、…英語じゃなくてもアタマ使うオトナのお喋りを楽しむには、1年目の自分には余裕がなさすぎた。)

1年目は楽しめる余裕がなかったそんな会話を

いま楽しめてる自分が嬉しかったし、

「学校のことはそこそこ要領よく済ませて、プライベートでリア充する自分⭐︎」

を楽しんでみたかった。

やっと自分の日本語人格と、英語人格のギャップが埋まってきたような喜び。

それまで沢山机に向かってきたし、

「そろそろプライベート充実させて楽しも⭐️」

と羽根を伸ばした時期だった。

学生の本分もそこそこに、

自分の楽しいことに集中しはじめた。

 

英語について言うと、

わたしはここでちょっと勘違いしてしまった。

生活者としての英語(スーパー行ったり銀行に電話したりetc…)も、

学生としての英語(授業を理解する、エッセイ書く、テスト受けるetc…)も、

もう支障がない。

ここで「語学力の問題はもう消えた」と思った。

でも、どんどんレベルが高くなって専門用語が分かるようになったとしても、

わたしが操ってたのはあくまで受動的な英語力。

 

「プロフェッショナルに仕事する人」

としての語学力というか話力)とは、また違うこと

その頃あまり気づけていなかった。

すこし前に「語学力は手段であって目的じゃない。」

と書いたけど

それを2年目で分かったつもりだったのに、

だんだん

英語で「学ぶ」ことじゃなくて

「英語で」学生することが目的になってしまっていた。

本来は、

自分の学んでる専門分野といっぱい向き合うこと、

その専門分野でどう社会に貢献してお金をもらって食べていくか、

が大事で、

それをたまたま英語でやってる、というだけなのに。

4年目、 ぶち当たる壁

そんなこんなで4年目突入。

学校の中のクリニックで、臨床がはじまった。

実際に患者さんと対話しながら治療をする。

今まで会ったことない層の、

色んな患者さんがいらっしゃる。

 

わたしはプライベートでは、多国籍な友達が多かった。

よく話す友達はスペイン人、イタリア人、韓国人、サウジアラビア人etc…。

長年同棲してる彼もトルコ人だし、みんな英語が第2ヶ国語。

学校で毎日会ってるクラスメイトや先生も、

ネイティブだけど、専攻してる分野が中国医学だけあって、アジア人やアジア的文化に理解が深いひとが多かった。

うちの学校では3年の終わりに、

学校の中のクリニックで臨床をはじめる前練習として

外の病院に出向いて、病院の患者さんに鍼灸施術をするインターンがある。

どこの病院にするかは自分で選ぶんだけど、

わたしはHIVの患者さん専門のクリニックを選んだ。

HIVの患者さんはLGBTの方が多く、年配も多い。

きびしい時代をマイノリティとして駆け抜けて、

色んな経験を重ね、人の痛みが分かるんだろう。

はじめてのインターンだったHIVクリニックの患者さん達は、

ほんとに温かく、優しい人が多かった。

こうして振り返ると、わたしが普段接してる友達も、要は異国の地アメリカに出てきて一生懸命暮らしてる人。

学校の人も、代替医療の分野を選ぶだけあってみんなとても優しい。

HIVクリニックの患者さんもそうだけど、みんな、マイノリティとして生きてきた経験を糧にしてるんだろう。心が広く優しい人が多かった。

でも

学校のクリニックにはランダムに色んな患者さんがいらっしゃる。

もちろん、インターナショナルな感覚のない生粋のアメリカ人も沢山いる。

そういう患者さんに白衣を着て接してると、「ん?」と違和感を覚えられてるな〜、ガイジンでちょっと戸惑われてるな〜、と分かる瞬間というのがある。

多分、わたしのコミュニケーションの仕方が日本的すぎるのだ。

そんなコミュニケーション上の違和感、文化差に気づいたのは

こうして4年目の学校内のクリニックで臨床をし始めた頃だった。

 

(あ、なんかやばいかも)

 

とちょっと思った。

わたし 

そういえば

コテコテのアメリカ人のこと、全然知らない。

コテコテのアメリカ人の内面というか…

彼らの思考や感性への想像力が、あまり無い自分に気づいた。

そう、わたしはプライベートではマイノリティなコミュニティで楽しく豊かに過ごしてきて、

「メインストリームなアメリカ社会」みたいなものを在住5年目にしてあまり知らないのだ。

4年になると、卒業後の身の振り方を考え、準備しはじめる時期でもある。

3年かけて読み書き面では大学院レベルのアカデミックな英語を扱えたけど、

プライベートではまだ

カジュアルなブロークン・イングリッシュで会話するしか引き出しがない自分に気づいた。

 

よし、アメリカ社会で働くぞ!

 

となった時

わたし、このままでちゃんとやっていけるんだろうか?

と急に不安になった。

 

まあこの不安は「移民あるある」で、

問題を避けようと思えば、方法はいくらでもある。

中国人オーナーのクリニックで働いて、中国人に学ぶ。(ザ・アメリカ社会を避ける)

在米日本人の患者さんに絞ってマーケティングする。(ザ・アメリカ社会を避ける)

etc…。

でも、アメリカ人に囲まれて生きてるかぎり

「英語圏的プロフェッショナルな振る舞い方」

に馴染んでおいたほうが、将来の活動の幅が広がる。

今のうちにちゃんと自分の不安と向き合って

「英語圏のプロフェッショナル達とのコミュニケーションも、わたしは大丈夫。」

と思えたほうが、

自分のしたいことに無意識にリミッターをかけることも避けられる。

地域コミュニティのリサーチに参加するとか、

プロジェクトを作って人を巻き込むとか、

きっと将来したくなるはず。

そんなときに怖じ気づいて、行動できない自分がちょっと想像できてしまった。

それは避けたい。

 

そんなことをウダウダと考えながら、

自分の不安を払拭するために受けてみたのが今回のクラスだった。(続く)

英語のビジネス・コミュニケーションのクラスを受けてみた ② 〜授業内容〜

2021.03.08