日本に帰ると、「アメリカに住んでみて良かったことって何?」と友人に聞かれることがある。
その度にわたしは「うーん」と答えに迷うんだけど、確実にこれは言える:日本にだけ住んでいたら出会わなかったような、多様なバックグランドをもつ人と、日常的に出会えることだ。文字通り、日常的に、毎日。
アメリカは、世界中から色んな理由で色んな人が、自由を求めて移民する。
オンラインのインタビュー記事でも、新聞でも、ニュース画面からでもなく、そうした移住の物語を目の前にいるナマの人間のクチから、生きたストーリーとして語られる。だからわたしはアメリカに来てから世界中の問題が、身近になった。身近になるから、世界という社会にリアルな関心も生まれる。
たとえば近所の酒屋さんに、エディーというお兄さんがいる。その酒屋のオーナーの一人だ。
彼は、Chaldean – Iraqui christianだ。
日本語だと、カルデア人ということになるのか。ざっくり言うと、「イラク系のクリスチャン」と言って問題ないと思う。イラクは大半がムスリム(イスラム教徒)なので、エディはマイノリティだ。わたしの元カレもトルコ人のクリスチャンで、似たようなバックグラウンドだったので、そんな繋がりからエディーとお喋りに花が咲いたことがある。
(トルコ南東部、シリア、イラクそのあたりはキリスト教のもっとも古い歴史が残る地域)
エディがどうしてアメリカに来たか聞くと、イラクから亡命ビザで来たという。ビザ取得して、アメリカに移住して、数年してグリーンカードから市民権ゲットの流れ。
イラクからの亡命ビザでアメリカに来る人は多い。が、イラク国内から亡命ビザを申請して、国内のアメリカ大使館のビザ面接を待つとなると、列が長すぎて何年もかかる。5年、10年…何年待つか分からない。
エディとその友人(か親戚だったかな)は、「トルコから亡命ビザの申請をすればプロセスがもっと早い」と聞き、イラクからトルコにまず移住した。トルコの滞在は不法だったか合法だったかは聞いていないが、トルコにいる親戚を頼ってまずはトルコのど田舎に移動した。(*大陸系の“country side“は、日本のど田舎とは比較にならないほど殺伐としているものを想像してほしい)
そうしてトルコからアメリカへの亡命ビザを申請した。トルコの田舎の何もすることがない町に住んで、やっと3年後、アメリカ大使館から面接に呼ばれた。そうして面接に行き、クリスチャン・マイノリティとして亡命ビザをゲット。その後アメリカに来て、酒屋のオーナーをやっている。10年以上前に同じようなバックグラウンドのイラク系とお金を出しあって、このリカーストアのビジネスを買い、共同で経営しているという。彼のリカーストアはサンディエゴ内でも、立地も便利でとっても平和で良い環境にある。リカーストアを経営するイラク系はゴマンといるはずだが、その中でもエディは確実に「心を満たす平和で安定的な良い暮らしを手に入れた」移民。彼自身が心から満足できる幸せを、実現した移民の一人といえるだろう。
余談
アメリカの他の地域のことは知らないが、サンディエゴ・カリフォルニアではたいていリカーストア(酒タバコ屋)はイラク系が営んでいる。以前、なんでリカーストアはイラク系が多いのか、疑問に思って「なんでだと思う?」とトルコ人の元カレに聞いたことがある。
元カレ曰く、「酒煙草を売る商売をするってことは、めんどくさい客、夜中に変な客が来ても捌けるようなタフさが必要ってこと。だからタフでマスキュリンなイラク系の男たちがその役を担うのは分かる気がする。だからイラク系が酒タバコの商売をするのが定番になったんじゃない?アメリカ人(非移民)は、採算的に酒屋がお金になると知ってても、客層をさばくことを考えるとそんな一苦労する商売にわざわざ手を出さないんでしょ。だからそういう仕事は、失うものがない移民が担うんだと思うよ。」
まあ、私たちもよう知らんけど、一理ある。
余談2
わざわざエディ本人には聞かなかったが、リカーストアを買えるまとまったドル資金が、アメリカに来てから数年で用意できたということは、母国の家系にある程度お金や地位がないとできないはずだ。Chaldeans(カルデア人)は金銭的に裕福な人が多いと聞くが、きっとユダヤ人と同じように、マイノリティだからこそ民族で団結して生きる知恵やお金を確保する能力が高いんだろう。)
メモ:Chaldeans について参考リンク
・Chaldean Catholics migrate to flee political and economic oppression
・The Chaldeans – Politics and Identity in Iraq and the American Diaspora