今日はアメリカ独立記念日だからそれにちなんだ映画の話。『7月4日に生まれて』

海外日常

今日は、アメリカのThe Forth of July。アメリカの独立記念日だ。

そんなわけで、今日はこの映画『Born on the Fourth of July』(『7月4日に生まれて』) を紹介したい。アメリカ人のリアルな姿がよく映し出されている、良い映画。

わたしはネットフリックスで見たけど日本だとAmazon Primeにもあるらしい。下のリンクからチェックしてみて

アメリカを知る英語:Veterans

アメリカでは退役した軍人のことをVeteran(s)という。ベトナム戦争を経験して帰ってきた退役軍人のことは、特に“Vietnam veterans“と呼ぶ。

『7月4日に生まれて』は、実在したVietnam Veteranのロン・コーヴィックの自伝に基づいた物語。ロン・コーヴィックを、映画ではトム・クルーズが演じている。

映画の内容をざっくり説明すると:ロン・コーヴィックは、ウィスコンシン州に生まれて典型的な信心深い家庭に育ち、アメリカの戦争プロパガンダを信じて兵隊に憧れ、ベトナム戦争に参加した。戦争を経験し、アメリカに帰還して半身不随の車椅子で生活するようになり、諸々の怒り苦しみ失望を経て、反戦活動家になる。その軌跡を描いた映画。

わたしは7月4日の花火をみると、この映画のワンシーンを思い出す。▼

 7月4日の独立記念日は、打ち上げ花火が上がるのが伝統。それと「独立記念日=戦争に勝利した日」ということで、そのシンボルとして軍人がパレードする慣習があるそうだ。(わたしは見かけたことないが)

パレードを行進する退役軍人を、幼い頃のロンがヒーローに憧れるような目で見つめる。退役軍人たちは、花火やクラッカーの音が鳴るたびにビクッと反応しつつも(戦争経験からくるPTSD)、なるべく平静を装う。年月が経ち、ロン(トム・クルーズ)が大人になり、ベトナム戦争に参戦。帰還後、名誉の退役軍人として7月4日のパレードの行進に参加。そして、自分自身が、子供の頃に見た軍人たちと同じように花火の音にトラウマ反応をする。

ちなみに、映画の中で描写されているロンの戦争体験は、トラウマ研究の名著『身体はトラウマを記録する』の第一章にあるベトナム帰還兵の話でも、全く同じような話が出てくる。

ロンは自伝で個人の体験を綴っているわけだが、それはまさに多くのアメリカ人兵が体験した苦しみとその後の葛藤を代弁している。

“Torture survivor”

わたしが住むサンディエゴは、米軍の要地だ。(そういえばトムクルーズ主演の『トップガン』もサンディエゴが舞台。)わたしが在籍していた中医学大学院のクリニックに来られる方にも、米軍出身者は多かった。たいていPTSD由来の主訴でいらっしゃる。明るい太陽が降り注ぐカリフォルニアで、表に出ない苦しみをたくさん抱えている人がそこら中に歩いているという現実感を、わたしはここで学んだ。

わたしがインターン生として人生で初めて鍼を刺した患者さんは、退役米軍のおじちゃんで、torture survivorだった。そのおじいちゃんのことを、わたしはインターン生になる前から知っていた。毎日キャンパスで見かけるし、裏庭でわたしが昼寝している時によく会って、顔見知りになって会話した。

おじいちゃんは、毎日ビーサンを履いて乾いてヒビ割れたボロボロの足、モジャモジャの白髪ともじゃもじゃの髭、よく巣鴨のおばあちゃんが持ってるガラガラのカートを引いて、ホームレスみたいな風貌の人だった。目だけは眼光が鋭く、彼の面構えは本当にフォトジェニックだった。彼以上に、「この人の顔の写真を撮ってみたい」と思った人はいない。結局、「いつかポートレートを撮りたい」と言いたかったがいえず、彼の写真を撮ることはなかった。わたしがコロナの時に一年休学して日本に帰り、またサンディエゴに戻ってきた時には、あんなに毎日うちのクリニックに通っていたおじいちゃんはもういなくなっていた。

さてコロナ以前の年。大学院で新学期が始まり、クリニックのインターン生になった時にドサっと分厚いファイルが目の前に届いた。あのおじいちゃんの施術記録をまとめたファイルだった。わたしがあのおじいちゃんを治療することになったらしい。「あのおじいちゃん鍼をしないと夜全く眠れないって。だから毎日来るの。」とスーパーバイザーに言われた。そして施術室に入る前に「あ、 あますい。彼、veteranでtorture survivorだから。」と、至極さらりと言われた。

(え、torture survivor…?

初めて聞いた単語の組み合わせにびっくりした。

それ以上に、スーパーバイザーから深刻そうにコショコショと「彼、torture survivorだから…」と伝えられることもなく、めっちゃドライにさらっと言われたことにびっくりした。ここは日本ではないんだ、とあらためて感じた瞬間のひとつ。

わたしがインターンになる前、裏庭で会った時の話。おじいちゃんは明らかに中東系で英語のアクセントのある人で、わたしもアクセントばりばりあるので、「どこ出身?」「日本。あなたは?」と会話したことがある。

「元々はイラクだよ」「へえ、わたしのパートナーもトルコ人で南のシリア国境の近く出身だよ(つまりイラクにも近い)」「ほお、そうなのかい?僕の故郷は〇〇っていうところで(←忘れた…)シルクロード沿にある町なんだよ」「えー!シルクロード沿いにあるなんて、すごいね歴史を感じるね。文化がとっても豊かな町なんだろうね。シルクロードの東の末端は日本で終わるって知ってた?」etc…会話したのを覚えている。

イラク出身で、米軍に従軍して、拷問を受けたことがあるっていうことは、きっとスパイだったんだろう。よう知らんけど。しかし彼は普段の様子からしてすごく質素な生活をしているようにしか見えなかった。つまり彼が体を張ってこなした仕事とそのトラウマを代償するだけの適正な生活保護/手当て金を米軍から十分にもらっているとは思えなかった。

戦争で人間(兵隊)は道具として使い捨てられる。これは観念うんちゃらではなく「現実」で、大事なことなのでもう一度いう。戦争で、生きた一人一人の人間は、駒として扱われる。駒として使い物にならなくなったら適当な「名誉」「金」を与えられ、国に誤魔化される。こうした現実を、少しでも覚えておいてほしい。未来のために、平和ボケてズレた判断をしないように、忘れないでほしい。


本物のロン・コーヴィックのインタビューはこちら▼