#1曲1エッセイ
#1曲紹介
あのね。私は今本当に幸せなのでね。
今この、本当に穏やかで、幸せな時間を、みんなに見せびらかしたい気持ちでいっぱいなんです。
(キッチンでもやしを炒めながら、友達にもらったアナログスピーカーで誰にも気を遣わず好きな曲を聴き、キッチンの裏口ドアを開けると外からの木漏れ日が射してそよ風が聴こえるそんな木曜日の午後1時半。)
思えば今までずっと他人と暮らしてきて。
実家は6人家族だったし、実家を出たあとは東京でシェアハウスしてたし(中国人たちと箱のような場所に住んでた)、アメリカに来てからもずっとホステル暮らしだったりフラットメイトがいたり同棲してたり。過去に2年だけ「一人暮らし」といえる期間はあったけど、心情穏やかならぬ時期だったからあっという間に過ぎたし、あとそもそも寝に帰るだけの賃貸部屋だった。
今は、今までの住んできた場所のどことも違う。初めて、自分を幸せにするために選んだ穏やかな住居空間。
今はルームメイトも同棲相手もいないから反射的なサービス精神も発揮せずにすむし、毎日毎日、帰っても家の中に他人がいなくて、自分のタイミングで、自分の好きな行動ができる、その喜びに震えてる。
自分のペースで、
自分の温度で、
自分の好みで、
生活のひとつひとつを楽しめる。
この幸せ何これヤバいぞ。
私には、高層マンションに住むより、世界的な名声を得るより、今この幸せが、1番素敵に思える。
そんなわけで、今日キッチンで料理しながら流していた曲は、これ。
“A War With My Ego“
直訳すると「自分のエゴとの戦争」
Jaubiの“The Deconstructed Ego“というアルバムの中の一曲です。
エゴはどっちだった?
肚(はら)の底から、自分のために生きるには勇気がいる。
今までは反射的に、他人を喜ばせようと生きてきて、意識が自分よりも他人に向いていた。でも今やっと初めて、腹の底から自分を幸せにするために生きている。
今まで、自分以外の他人に意識が向いて生きてきたことについて、「自分が親切で優しい人だったから」とアピールしたいわけではない。
むしろ逆。今までを振り返ると、わたしは自分勝手に他人を利用してきたなぁと思う。他人を、自分を見ない理由に使っていた。以前は、「自分のために生きる」という態度はエゴ臭いと思っていた。今となって振り返れば、自分に100パーセント意識を向けるより、他人に意識を向けたほうがラクな精神作業だから他人の欲求を優先してたとおもう。それこそ、エゴだった。
自分に正直になるのが、怖かったり面倒くさいから、いつも一見、賢(さか)しそうな選択、一見、辻褄が合う選択をしていた。
「これが家族にとってもバランスの良い落とし所」
「自分のやりたい方向と周りの期待値の、いい中間点」
いつも周囲との辻褄が合う、そんな「パーフェクトなバランス」を取ろうとしていた。そしてそんな「パーフェクトな拮抗バランスポイント」を探し始めると、結果的にどうなるかというと、ハッと気づいた時には「ん???」(ハテナマークいっぱい)という場所、人物選択をしている。超ちぐはぐな環境に辿り着いているのである。
僕、アホだった。
自分の心の声、体の声を抑えつけて人生の選択をするとそうなる。38歳になって結構色々やらかしてきて、やっとそれが分かった。
振り返ると、賢(さか)しそうに見える判断基準こそ、たいてい、エゴだったんだと思う。
その「賢い選択」には、実は中身が何もなく、空っぽで虚しかった。
まあ、賢くなかったよね!
自分が気持ちいいこと、好きなこと、嫌なこと、どうしたいか、どういう友達が欲しいか、どういう家族が欲しいか、どういう家族といたくないか、どんな友人といたくないか、どんな空間にいたくないか、どんな空間にいたいかetc、そういう心の声に素直に従うこと。昔は、それこそがエゴだと思っていた。
違った。
逆だった。
本当に自分のために生きだしてから気づいたことは、自分のために生きたほうが、むしろ自分が一番ハンドルを自由に握れるゲームをしてるみたいで、ワクワクできて楽しい。だから、心の内側から活気も湧いてくる。あと、努力してないのに事がなぜかスムーズに運んでいく。
自分自身を幸せにすること。
自分の心を笑顔にすること。
それこそが、実はエゴから解放されたとき出来ることだったんだ。“A war with my ego“というタイトルのこの曲を聴くと、エゴとは何か勘違いしていた過去のわたしの心に葛藤に、想いを馳せる。
過去のわたしよ。どうか成仏成仏。
堪忍ね。